ミッドサマーを2回観て思った、強い集団には必ず没個性が必要であること。(ゆるくネタバレ含む)
いろんな考察を読んで、一番特に「そうですよね~~!!」と共感したのが、
ああいう共同体というか、カルト集団というか、ホルガ村にいる人たちって
「個性」っていうものってないんだろうなって思いました。
決まりは決まり、ルールはルール。
それに対して感情的になったり、
怒ったり哀しんだりすることもあってもいいんだけど、
みんな同じタイミング同じポイントで怒ったり悲しんだりしないといけないんだなぁと思いました。
例えば、ホルガ村の掟で72歳で死ななくちゃいけないんですけど(命のサイクル回すために)
そこで崖から飛び降りるおじいさんおばあさんを村の人たちは見守るんですね。
そのときに、
「ヨッシャー!あのババア嫌いやったから死んでくれて本当嬉しい!」
みたいに思う人とかっていないのかなあ。とか。
例えがよくなさすぎていますが、
「高尚なマイノリティーの人たちがあの村にいたらどう思うのか」とかをブログに書いている方がいて、
その方のブログをみて、「そうそうそうそう!個性がなくなっているようにみえる」っていうのは確かにその通りだなと思いました。
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ち・な・み・に・♡
私の知ってる、あるコミュニティーでは
「カルトじゃないよ。宗教じゃないよ」と言っているものの、
一定数人が集まって偉い人とそうじゃない人、
つまり先生と生徒みたいにスクール的な形をとってる所で、
さらに生徒の生活や文化にある種の制限を出してくる「先生」がいると
どこか宗教っぽく感じたりとかはしますね。
わざわざいろんな自由や価値観が認められている「日本」で
わざわざやらないといけないことなのかな?と思ったり。
ただ私の知ってるそのコミュニティーは持っている武器、生徒に伝えるときに必要な知識やアドバイスが、
医学的科学的なものにも基づいているものであるから、
体制が整っていて、基盤があるって言うふうにも思います。
本気を出したら村や宗教作れると思います。
そして、そのコミュニティにいる人たちってだんだん個性が見えにくくなってきています。
先生からのアドバイス、教えが生活圏内に影響するくらいに強いほど
常日頃、先生と離れているときも先生やその教えの存在を感じ、
だんだん染まっていくんでしょうねー。
私自身、そのコミュニティの先生にはよくお世話になった身でして
大好きなんですが、あまり深く関わらないようにするというのは大事なのかもしれませんね。
一つのコミュニティだけしか知らないということは
幸せでもあるけれど同時に超危ないのかなと思った感想でしたー