「オトナの階段登る」ダイアリー

「25歳からはオトナ」「仕事においても恋愛においても、オトナになる必要がある」と「オトナ」というワードをたくさん聞き、そろそろオトナになりたいと思って始めました。

【オトナとは】髭男の曲から読み取った私の思う「オトナ」

おはようございます、つやつや髪子です。

 

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(誰この人…。でもなんかカッコいいから良し。)

 

 

最近ある歌詞を聞いて、うぬうぬと考えることがあります。

 

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ああ神様 どうして、生きていく事は こんなに辛い事なんだろう

感情がなくなってしまえば 苦しくないのに

 

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BY 

Official髭男dism - What's Going On?

 

www.youtube.com

 

 

 

ほんまに感情がなくなってしまえば苦しくないのにな。

 

ただ「オトナになる」って決して「感情をなくすこと」ではないのだなと思った。

 

大人であっても

 

うれしい気持ち、悲しい気持ち、怒る気持ち、悔しい気持ち、持ってていいんだなと思った。

 

むしろ

 

自分の感情を見ないふりでいること

私の思う「オトナとしての在り方」ではないと感じた。

 

 

苦しい気持ちも、悲しい気持ちも、怒る気持ちも

すべて認めてあげることが大事だなと思った。

 

 

私は特に悲しいことがあるとずっとそれに飲み込まれてしまうことが多いし、

咄嗟に向けられた悪意に対して、怒ったり、自分が怒っていること表すことが出来ない。

 

その場で出来るのは最大限の「不機嫌」でしかない。

 

「不機嫌ですよ、私は!!!」と永遠を周りに見せつけ、

気を使わせてしまうところがある。

 

そもそも「気を使わせる」なんてオトナじゃない。

それは「私のこと分かってよ!」って言ってる子どもと一緒だ。

 

まぁ怒りへの瞬発力の付け方はまたおいおいブログに書きます。書かせて下さい。

 

これからも自分の感情は大切にしていきます。

大切にしていきましょうね。

 

 

女磨き自家発電

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※ミッドサマーとは関係がありません。

 

 

 

年齢を重ねるにつれて聞かれる質問が異性関係である。

 

なぜそんなことを聞いてくるかというと俗にいう

 

「女は男によって(恋をすることによって)綺麗になる」

 

という理論がうっすら、しかし確実に根強く存在するからである。

 

 

たしかに大学2年の春、一瞬で別れたが

ものすごく大好きだと思っていた彼氏がいた。

 

付き合ってるときは確かに写真を見ても

どこか自分が可愛い感じがした。

 

理由は分からない。

挙げられる理由としては

 

自分が好きだと思ってる人が私のことも好きだと言ってくれることによる、脳内のドーパミンドバドバ

 

ということがあった。

本当にわからないけれどあの時の自分は理由がなく可愛かった。

 細胞レベルで可愛かった。

 

そんななんとなく雰囲気すらもふんわり♡♡していたが、

それって本当なのか?

 

独り身生活3年くらい経つとダメなのか?

 

なにが問題なのか?

 

私は綺麗にもなりたい。いつまでも綺麗でいたい。

 

 

 

 

あ、でもね。

 

 

 

 

私が一番「綺麗だね」と言われるのは、恋愛中ではなく失恋後。

 

「かわいいね」と言われるのは付き合っているときだけど、

「綺麗だね、きれいになったね」と言われるのは失恋後。

このことについてはまた記事を書きます。

 

 

 

ミッドサマーを2回観て思った、強い集団には必ず没個性が必要であること。(ゆるくネタバレ含む)

 

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ミッドサマー結局2回観たよ。絵柄とかもかわいいよね。

 

 

いろんな考察を読んで、一番特に「そうですよね~~!!」と共感したのが、

ああいう共同体というか、カルト集団というか、ホルガ村にいる人たちって

「個性」っていうものってないんだろうなって思いました。

 

決まりは決まり、ルールはルール。

それに対して感情的になったり、

怒ったり哀しんだりすることもあってもいいんだけど、

みんな同じタイミング同じポイントで怒ったり悲しんだりしないといけないんだなぁと思いました。

 

例えば、ホルガ村の掟で72歳で死ななくちゃいけないんですけど(命のサイクル回すために)

そこで崖から飛び降りるおじいさんおばあさんを村の人たちは見守るんですね。

 

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この崖ね。とても高いんですよ、、、

 

そのときに、

 

「ヨッシャー!あのババア嫌いやったから死んでくれて本当嬉しい!」

みたいに思う人とかっていないのかなあ。とか。

 

例えがよくなさすぎていますが、

「高尚なマイノリティーの人たちがあの村にいたらどう思うのか」とかをブログに書いている方がいて、

その方のブログをみて、「そうそうそうそう!個性がなくなっているようにみえる」っていうのは確かにその通りだなと思いました。

 

Twitter認証が必要な場合があるかもしれません。

fusetter.com

 

ち・な・み・に・♡

 

私の知ってる、あるコミュニティーでは

「カルトじゃないよ。宗教じゃないよ」と言っているものの、

一定数人が集まって偉い人とそうじゃない人、

つまり先生と生徒みたいにスクール的な形をとってる所で、

さらに生徒の生活や文化にある種の制限を出してくる「先生」がいると

どこか宗教っぽく感じたりとかはしますね。

 

わざわざいろんな自由や価値観が認められている「日本」で

わざわざやらないといけないことなのかな?と思ったり。

 

ただ私の知ってるそのコミュニティーは持っている武器、生徒に伝えるときに必要な知識やアドバイスが、

医学的科学的なものにも基づいているものであるから、

体制が整っていて、基盤があるって言うふうにも思います。

本気を出したら村や宗教作れると思います。

 

そして、そのコミュニティにいる人たちってだんだん個性が見えにくくなってきています。

 

先生からのアドバイス、教えが生活圏内に影響するくらいに強いほど

常日頃、先生と離れているときも先生やその教えの存在を感じ、

だんだん染まっていくんでしょうねー。

 

私自身、そのコミュニティの先生にはよくお世話になった身でして

大好きなんですが、あまり深く関わらないようにするというのは大事なのかもしれませんね。

 

一つのコミュニティだけしか知らないということは

幸せでもあるけれど同時に超危ないのかなと思った感想でしたー

自分の思ったことをしっかりと留めておくこと。

(※ネタバレは含みません。)

 

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ミッドサマーを2回見ました。1回目と2回目で一緒に観た人が違いました。(1回目は普通版。 2回目はDC版)

 

ふと思ったのは、私って人に意見を合わせるんだなーっていうのが実感としてありました。

 

1回目一緒に見に行った人は結構映画をたくさん観られていら方で、あまり面白くないみたいな感じだったんですね。

映画批判が多くて「死体って人形だったよねー」とか「あのシーンはないよなぁ」とかそういう感じのことを言う人だったんです。

 

それを聞いた時は「確かに死体が人形くさかったな〜〜」とか「あのシーンはキツかったですね笑」みたいなことを言ってて思ってたんですけど、

 

2回目を観に行ったときは自分の心の余裕ができていたというのもありますが、

一緒に観に行った人は批判的なことは全然言わなくて。(もちろん死体が人形っぽかったねとかは言ってたけど。)

 

例えばみんなが気持ち悪がるシーンとかも「私は結構世界観が好きだったなぁ」とか

「あの壁紙のあの柄がすごいかわいいよねー」とか

 

ちゃんと感想や思ったこと、感じたことを見たままに捉えていて、素敵だなぁと思いました。

 

純粋に私は結構一緒に行った人の意見に左右されやすいようで「まぁそうですよね」みたいな感じで同調しちゃうことが多いんですけど、なんかそれってあんまりどうなのかなぁっていうのはありました。

 

言われてみれば確かに1回目に観た時も絶対に「あの衣装可愛いなぁ」とかあったはずですが、心の余裕がなくなるとダメですね、全然言葉が出てこない。

 

ただ私が一貫して思ってる事は、背景とか文化とか映画を見るだけじゃわからないことを映画を見た後に考察して、

それをもう一度観るっていうのが結構この映画のお気に入りのポイントでした。

 

映画なんて好みの問題ですが、自分の好きなことはちゃんと好きと認識することとても大事だと思いました。

 

お世話したい気持ちを自分(の尻)に向けてみる

LINE漫画を読んでて、衝撃の漫画に出会った。

 

「裸一貫!つづ井さん」だ。

 

のほほんのした絵柄のつづ井さんは、超ポジティブだった。

無理矢理なポジティブじゃない。

頭のネジが一本外れたようなポジティブさだ。

 

 

なにかをお世話したいと感じたつづ井さんは自分のお尻をお世話することになる。

それが本当になんとも言えないくらい素晴らしいと思った。

 

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「そうだ!お尻を育てよう!」なんて普通は思わない。

 

だけど確かに自分のお尻なら、お世話し忘れても罪悪感は薄いし、

お世話すればするほどお尻もツヤツヤに。

 

私は影響受けやすいので早速お尻の手入れをしてみた。

小学校6年の時からボディークリームをお風呂上がった後に必ず塗ってたんですが、お尻まではそういえば塗ってなかった。

だってパンツ履いてるし。

ごめん、お尻。

 

Tバックは履かないので、普通のパンツを食い込ませてお尻にもボディクリームを塗ってみることにした。

 

そのほか、

 

ドライヤーで髪の毛をかわしながらスクワットを数回する。

 

スクラブをする。

 

などなど行ってみて様子を見てみたいと思う。

 

 

ちなみに私が好きな占い師さんがおっしゃっていたことに、

 

 

 

これ!!!!!!

 

自己肯定感が低くなった時とか特に大事!!!!!

 

すぐ忘れるんなら、紙に書いてトイレの壁に貼って置け!!!

 

参照元のブログ

https://miyatasilok.com/love-myself/

 

 

なかなかそう思えるようになるのは難しいですが、

まずは行動からしてみるのは良いかもしれないですね。

 

お茶を飲むとき

 

ご飯を食べるとき

 

お風呂に入るとき

 

着る服を選ぶとき

 

などなど。

 

小学校高学年から習慣化しているボディクリームを塗ること。

 

特に大事なんだなと思ったのは、社会人になってから。

 

自分の肌をいたわる。

 

めっちゃ泣いた日も、落ち込んでいる日も

寝れない日も大体毎日塗っています。

 

習慣化させれば当たり前のこんこんちきになります。

 

とりあえず、お尻育ててみます。

 

 

 

冬の乗り越え方

 

一人暮らしをし始めた2014年から大体冬になると鬱に近い状態になる。

 

 

基本的に誰とも会いたくなくなるし、

なにもしたくなくなるし、

楽しいことなんて雪で覆われてないし、

空はずっとどんよりとしていて鬱々する。

 

じゃあ今までどうやって乗り越えてきたかというと、

大学時代は友達と鍋をして乗り越えた気がする。

 

鍋をして、コタツに入って、テレビを見て、ってことをしていた気がする。

 

あとは春を待つのみだった。

 

でも社会人になってからの冬は凄まじい。

 

大抵仕事に影響が出る。

 

やる気がなくなったり、不安になったり、あまり社会に貢献してるとは言えない。

一昨年の冬は、なあなあになりすぎていたし、

去年(今年?)の冬は情緒不安定だった。

 

去年に関してはありとあらゆる占いに力を借りたし、友達に電話もした。

初めて母親の前でも泣いた。

先生の前でも電話で泣いた。

もう心底辟易していた。

 

自分から逃げ場を作らなかったし、作ろうとしていなかった。

勝手に追い込まれていた。

 

やっぱり逃げ場って大事。逃げ場という言葉が良くないなら憩いの場所とかどうだろう。

 

あっちこっちに憩いの場を作る。

 

できれば冬も楽しめる憩いの場。

 

そうすれば、少しは春を迎えられる人が増えるかもしれない。

今流行り(?)のミッドサマーを観に行った

 

今流行りのミッドサマーを観に行った。

 

事前にふわっと情報を集めておき、この証言をもとに

ホラーが苦手な私はすっかり安心しきっていた。

 

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もう!!!全然!!!驚きました!!!!!!

 

事前情報より安心しきっていたので余計に

1人で映画館で「わっ!!」って声に出しちゃっていました。

 

普通に目を当てられない部分もあり、そういうところは直視せずに観たりしていました。

 

ちなみに芝居をみているような感覚になりました。

私は演劇部時代の先輩のお芝居を観に行った後、大体答え合わせをするのですが、

人によって解釈の捉え方、作中の伏線とかが大好きで、

今回のミッドサマーも観終わった後に、考察ブログをたくさん読んで、

「あ~~~そんな意味も含んでいたのか~~」とみていました。

 

その考察を見た上での私の思ったことをつらつら書きます。

以下若干のネタバレも含むのでご注意を。

 

印象的だなーと感じたのが、

主人公の彼氏のクリスチャンが裸の中年女に囲まれて(見守られて?)

村の女の子とエッチしてるところをみたダニーに対して

村の女の子たちが慰めているところ。

 

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ここですね。

 

 

ダニーが泣き叫ぶのに合わせて、一緒に声を出し、

泣いているような様子が「うわぁ、、、」と思った。

(音だけ聞くとなにかの団体スポーツ前の女子チームの気合いれるみたいな感じの共鳴笑)

 

「うわぁ、、、」には2種類あって、

1つ目は、「このシーンが予告編やポスターでみるシーンなんだな~」という感心が一点。

 

2つ目は、悲しんでいるダニーに対して、

一緒に泣いてあげる(共鳴している に近いかな、、、)ことによって、

一種の村への洗脳なのかなと感じました。

 

「悲しいよね。つらいよね。わかるよわかるわかる」って

一番精神が不安定になる人にとって癒される言葉だと思う。

 

実際にダニーの周りにいた女の子たちが

寄り添っている”フリ”にしか見えなくて、それがちょっと印象的だった。

 

逆にいうと、人を取り込む時は共感ってすんげえ大事だなと。

 

 

(ここからは私の近況になっちゃいますが)

最近、立て続けにマルチ商法みたいなのに関わった時

彼ら彼女らの取り込み方って必ず「共感」だった。

 

「そんな大変なことがあったんだね。わかるよ~」

「自分もこんなことがあってね、だからその気持ちすごい分かる。」

 

一概にも共感してくれる人の全員が悪い人ではないけれど

誰でも彼でも信用しないほうがいいなと感じたミッドサマーでした。

 

 

ディレクターズカット版も観に行きたい~~~!!!